どれだけの人が本気で生きているだろうか

本気になる人生

今、ある映画を見て、本当に心が揺さぶられている。一人のミュージシャンの話だけれども、家族も恋人も人生も投げ打って、一つのプレイに全てをかけている。その状態は、狂気じみているし、サポートする人間も普通に考えて、異常だし、頭が狂っている。あまりにも異空間なので、鬱になる人もいて、死人も出ている。まさに、命がけの試練が待ち受けている。

人よりも、自分が本気で生きているのか

この世界は、おそらくほとんどの人が通らない世界。むしろ、通る必要がない。こんな苦行をしなくても、人は幸せに十分生きていける。けれども、どこかで反応してしまう人がいる。心の奥底の魂が、この世界に共鳴してしまう。その感覚は、他人とかどうでもよくて、むしろ考える余裕を持つべきではなく、自分が本気で生きているのかをフォーカスするべき世界。自分の音、自分の時間、自分の人生のすべてを、その世界に注げているのかが問われている。

精神が追い詰められる状態

目指す本物は、精神が追い詰められる。簡単には行けない世界であり、飛躍や変化が必要になるから。それは、手を差し伸べれば簡単にできるほど、楽な世界ではない。しかも、そんな誰でもできることは、本気の世界ではない。本気に行くには、尋常じゃないほどの、精神が壊れるほどの、世界に行かなくてはいけない。自分の理性が飛んだ先に、体が反応する、魂が反応する世界がある。だから、自殺する人もいるし、去っていく人もいる。けれども、本物になるためには、絶対に避けては通れない、極め付けの苦しみが待っている。

幸せは、自分自身にはわからない世界にあるのかもしれない

その世界の幸せは、自分にはわからない。その地点へ到達して初めて幸せを感じられるのだと思う。自分自身もまだ、その世界に到達できていない。それに、本気を目指せてもいない。常に、いい年しながら、紆余曲折している。だから、本当の幸せも感じられていない。心の底から感じる充足感を得られないままでいる。本当の幸せは、そこにたどり着くまでわからない。それに、幸せは無理に感じるものでもないかもしれない。

求めた先にしか見えない空間

極めた人にしか見えない世界がある。それは、誰もが見れるものでなく、限られた人しか感じることができない空間。いろいろなものを犠牲にしながら得られた、瞬間がある。それは、なんとも言えない空間で、究極の世界。別の業界では、少し感じたような気がした、世界がある。それは、鍛錬を重ねる、そして誰からも評価されない日々。その先に、空間が待っている。

本気の世界を目指していない自分への不甲斐なさ

本気を目指していないと、正直楽な生活が送れる。誰に催促されるわけでもないし、好きなことができる。けれども、そこに満足は得られない。本当の意味での、生きる感覚が得られないのかもしれない。だから、本気を目指していない自分にも不甲斐なさや、消化不足を感じる。なぜなら、一度本気を味わった人間は、いつまでもその記憶が残っているから。本気を目指さないと、いつまでたっても不甲斐なさや、虚無感は消えないだろう。

本気を目指すのに年齢は関係ない

本気の世界を目指すのに、年齢は関係ない。なぜなら、年齢に関係なく、自分が求める世界を目指す人は、世代を超えてたくさんいるから。超一流になるのは、若い人からの方が多いかもしれないが、皆、与えられた時間があり、スピードもそれぞれ違う。求めるものや、環境の変化も違い、誰でも本気で目指すことができる。むしろ、年齢にこだわっているうちは、本気になれないのかもしれない。いつまでも、悩んで、現状から抜け出せない人は、本気になれていない証拠なのかもしれない。

本物を目指すことに、共感は得られない

本物を目指すことは、人に共感を得られないことでもある。なぜなら、ほとんどの人が目指さない道であるから、変人に見られることが多い。でも、本気の満足感を得るのであれば、本気にならないといけない。これからの自分の人生を全てかける何かを見つけた時、人はとんでもない力を発揮する。それは、スポーツであれ、何かの資格が必要な仕事であれ、関係がない。本気で目指す時には、大きな決断が必要になる。そして、その先に求める世界がある。

自分が追求する世界

本当に揺さぶられた時、自分の環境があまりにも本気とかけ離れていた時、自分の体が止まってしまう。なんで、こんなにも無駄な時間や考えを持っていたのかと、落ち込み、体が動かなくなる。本当に自分自身と素直に向き合うのであれば、自分が追求する世界を目指すことが必要になる。そこには、固定観念は通用しない。結婚適齢期や平均年収などの世論の数字は、全く意味をなさない。

本気の道は一つに絞るべきか

興味があると様々な世界を見てみたくなる。そうすると、どうしても極める道を一つに絞れないでいる。けれども、本気で考えた時、一つの道が見えてくるのかもしれない。それまでは、複数見るのもいいかもしれない。けれども、いつかは一つだけの道があるのか、自分にもわからない。なぜなら、人は生きるために、働かなくてはいけない状況があるから。目指す道が、お金なのか、それ以外なのかは、自分にしかわからない。ただ、迷いながらも、求める意思が必要になる。時間がかかっても、本物になりたいのであれば、本気で考えなくてはいけない。

真の充実感

自分の真の充実感が何であるかは、自分以外の誰にもわからない。自分でしか、自分の充実感は感じられない。だとしたら、自分で考えて、自分で行動するしかない。本当の意味での、人生の意味や、充実満足感を得るためには、本気で死に物狂いで努力しなくてはいけない。その先にしか、世界は見えてこない。もし、今の生活に満足していないのであれば、大きくシフトチェンジする必要がある。真の世界を感じるには、ただ本気になるしかない。