有名人やスポーツ選手などの著名人でたまに見られるのが、「記憶や記録に残りたい」という発言や考えです。確かに記録や記憶に残ることはスゴいことです。偉業を達成したその人の名前が、何かの媒体に残り代々語り継がれていくことはスゴいことです。そのような人は「自分が死んだ後も語り継がれたい」という思いが強い気がします。

しかし、現代から過去の偉業人を振り返ってみると、確かに偉業人の名前は残っていますが、それほど私たちの暮らしに影響していないのも事実です。おおかた書物に残る一部としてしか見られない傾向にあります。

このようなことから、記憶や記録は必ずしも語り継がれることではないと思います。確かに、それらを大切に語り継ぐ人たちはいることでしょう。しかし、ただの記憶や記録としてしか残らないことのほうが多いです。時代はつねに変化しており、記憶や記録はつねに塗り替えられます。

したがって、それらにあまり固執しすぎても未来の人の捉え方は違うのかもしれません。記憶や記録を求めるのは、ただの自己満足なのかもしれません。だとしたら、それらに苦しめられる必要はないのです。ひょっとしたら、カゴの中を走り回る小動物と同じことをしているのかもしれません。

メディアでは、記憶や記録を取り上げたがりますが、私たちはその時代のほんの一部でしか過ぎない。自分一人の記憶や記録が世の中を変えるわけではありません。そうなるとやはり、仕事や私生活で記憶や記録ばかり求めるのは、いかがなものかと思います。